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コラム#04
夏の、
五色ヶ原の森を臨む

五色ヶ原の森のトレッキングルートには、森林帯に位置し、サワグルミなどの樹木に出会うことができる全長6.7キロのカモシカコースと、散在する池に映り込む空と緑が楽しめる7.3キロのシラピソコースの2種類が用意されており、それぞれに特徴あるスポットや植物を楽しむことができる。今回はシラピソコースの人気スポットを特別に案内いただいた。

車を降りた段階で、まずひとつ、ほう、とため息をついてしまう。見渡すとあたり一面シラビソなの針葉樹に囲まれており、真夏だというのにひんやりとした冷気が山の上から膝下にかけて降りてきているようだ。思いっきり深呼吸をしてみると、肺の奥深くまで清涼感で一杯になった。歩き始めると、足元がふかふかしていることに気がつく。カラ松の枯れ木が天然のクッションフロアとなっており、なるほどこれは膝への負担も少ない。

「このあたりは標高1500mほどなんですが、植生を調査してみると2200mの亜高山帯のものがたくさん見られます。これは川を中心にあちこちから伏流水が出て、苔がたくさん生えているから。苔が森を冷やしてくれるおかげで、本来ならもっと高くまで登らないと出会えない生き物と、森のサイクルを見ることができるんです」

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そんな話をしていると、ルート途中の伏流水ポイントに差し掛かった。上平さんに習った方法で、笹を折込み天然のコップをつくり、水を汲む。教えられたとおりに作ったはずだが、折り方が甘かったのだろう。漏れ出す水に慌てて口元に運ぶと、しっかりと味が感じられるのに、なめらかな口当たりが喉を潤した。これは、と思いなんども飲んだ。

見所である2つの滝、横手滝と布引滝は同じ滝でもまったく違った表情を見せてくれる。吊橋を渡ってすぐそばまで近づくことのできる横手滝は、轟音とともに勢いよくあがる水しぶきがうっすら顔にまで届き、トレッキングで火照った顔を冷ませてくれた。
一方の布引滝の魅力は、高さ、そして幅の広さから感じ取られる圧倒的なスケール感。1年を通して水量が変わらないこの滝は、小さな流れが繊細さを感じられるように細く、長く落ちていく。そのさまは、いつまでも見ていられる感動的な美しさだ。
道中出会ったたくさんの植物に、上平さんの解説が加えられる楽しみ。それは教えられるまでは、ただきれいだなと感じていた小さなものたちに、まるでこの世界で初めて名前が与えられたかのような感動をおぼえてしまうものだった。種別ごとの特徴が、ただの特徴ではなく個性として感じられるようになっていく。

毒性を持つトリカブトのその花が、あんなにも青く美しいということ。赤くかわいらしいゴゼンタチバナは、成長すると葉が6枚になること。ハナイカダの実がまるで皿に見立てたかのように葉の中心に実るのは、鳥が発見して食べやすいようにする生存戦略だということ。疲れを感じたらシラビソの幹の膨らみをつつき、出てきたヤニをほんの少し首に塗ると、その素晴らしい針葉樹ならではの香りで意識がハッキリしてくること。
 
そして、体を使いながら、自分の生活の中ですぐ役に立つわけではない知識を得ることが、こんなにも楽しいのだ、ということ。

自然とそこに根ざす山岳ガイドから教わった知識を振り返りながら、帰り道の車中。普段の暮らしに戻ったら、どこで登山グッズを買おうか。そんなことを思いながら、なんどもなんども首に塗ったシラビソの香りの余韻を確かめるように嗅いだ。気分はまだ、森の中だ。