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コラム#02
交流する文化

高山市内で、この町と暮らしの文化を知りたいと思ったら、まず足を伸ばすべき日下部民藝館を訪ねてみた。江戸時代から13 代続くこの家。岐阜県と富山県の県境に位置する谷村から、お茶の行商で高山へと出てきた初代からその歴史は始まる。谷屋という屋号で幕府の御用商人を務めており、両替商を始めた3代目が大成功を納め、地域では豪商として名を知られることとなった。

一財を成した日下部家は、飛騨の匠の技を感じることのできる建築物や調度品を多く残した。また横山大観が弟子とともに逗留し、制作活動を行なっていたこともある。作家を援助するという、パトロン的な役割をも果たしていたのだ。

そんな13代に渡る歴史と、その文化財を展示しているのが、家屋をそのまま活用して開かれている日下部民藝館なのだ。

まずここ注目すべきは、質実剛健とした大きな梁と、吹き抜けだろう。

冬の高山は、その寒さから火を絶やすことがなく、そのため多くの火事に見舞われてきた。現在の日下部民藝館は、およそ1000戸が焼けてしまった明治8年の大火後に建てられたもの。この時期に飛騨で1、2を争う名工と言われた川尻治助によるものだ。研鑽された技術を作品として見せるためにも、こうした梁の見せ方が取り入れられたと言われている。

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その他にも、当時の価格で300両、現代にして3000万円~6000万円をかけて作られた豪華絢爛な仏壇や、花嫁道具、時代によってトレンドが異なった火鉢、現在では職人がもうおらず独特の風合いを持った吹きガラスなど、見どころが満載だ。

江戸時代、前庭を作ることが禁止されていたという高山市。そんな理由もあり趣深い民藝館の中庭で、館長の日下部勝さんに、高山文化の特徴をたずねてみると興味深い答えが帰ってきた。

「高山文化のおもしろさは、京都と江戸の文化が入り混じっているところですね。大宝律令の時代から、税の代わりに飛騨の匠を派遣していたことからもたらされた京都の文化。金森家が秀吉によって国替えを迫られ、幕府の直轄地となったことで、商人の町として栄え入り込んだ江戸文化。これらが絶妙にミックスされているんです」

聞いてみると、この民藝館の畳のサイズが、ちょうど江戸間と京間の中間のサイズになっているとのこと。また、茶道の文化も、京都に出て戻ってきた飛騨の匠が伝えたものだと言われているそうだ。

越中街道など物流の要所でもあり、何より日本のほぼ中心に位置しているこの飛騨高山。両面宿儺の2つの顔は、坂口安吾の想像していたように、異なる文化の合流地点を意味していたのかもしれない。