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コラム#02
交流する文化

江戸時代以来の城下町・商家町としての景観を、今でもしっかりと守っている高山市。近年では、観光客が国内外から大挙し、宿をとるのも一苦労な京都を避け、飛騨高山を旅行先に選ぶ外国人観光客も増えてきた。

そんな飛騨高山の文化を探るために、まずその歴史を探ってみよう。飛騨が歴史書に初めて登場したのが、持統天皇の時代に編纂された『日本書紀』だ。
ここでは、飛騨の地に両面宿儺という異形の妖怪がおり、人々から略奪を行なっていたと記されている。

2つの顔を持ち、手足は8本。二張りの弓を扱うというこの両面宿儺を討伐したと言われるのが、高山市内の桜山八幡宮内にある、末社・照崎神社に祭神として祀られている武振熊命だ。

こう記すと、何やら妖怪のいた地のように思われてしまうが、『日本書紀』はあくまで勝者の歴史。朝廷との対立があった者を、異形の者として描くことはよくあることだ。つまり、それは逆に言えば、何か朝廷に反発する必然性を持った、土地に根ざしたリーダーがいた証拠かもしれない。実際に、飛騨千光寺には、この宿儺が救世観音の化身として寺を開いたという伝承も残っている。

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こうした歴史を元に、昭和の文豪・坂口安吾は『安吾の新日本地理』の中で、朝廷文化とそうでない文化、その入り交じる地の比喩として「両面」宿儺が描かれたのではないか、と考察している。