きりえ作家としての人生は
飛騨高山から世界をつなぐ
HIDABITO 013
---義基
---義基 憲人氏
高山市が作家を支援するというパッケージを
自分の作家人生を前例にして、作りたいんです
高山市内を南北に流れ、桜や柳など季節ごとに美しい風景を見せてくれる風光明媚な宮川。高山観光の人気ポイントにもなっている宮川朝市が開かれている鍛冶橋付近に、観光客がふと足を止め、ウィンドウ越しに見入っている1軒のギャラリーがあった。脇から覗いてみると、高山の伝統的な景色が描かれた、数々の精巧なきりえが飾られていた。
「最近、高山も観光客がまた増えてきていて、うちでは特に欧米人のお客様が多くなっているんですよ。とはいえ、観光地で『作品』を売る、というのはなかなか大変なものでして。だからこそ、手にとっていただけることがうれしいんです」
そう目を細めながら、このギャラリー「義基」のオーナーであり、きりえ作家の義基憲人さんは話し始めた。

15歳の時に、親の仕事の都合で富山県からここ高山に移り住んだ義基さん。富山時代からデザインや美術の世界に憧れがあったものの、文化社会学を学びたいという気持ちもあり、大学に進学。ちょうど20歳のころに父親が現在ギャラリーとなっている物件を購入し、呉服屋としての事業を始めたそうだ。
「なんの気まぐれだったのかそういうことがあったので、大学を卒業したらその『家業』 を継ぐほかなかったんですよ(笑)。ただ商売を勉強したことはないわけで、なかなか事業としてうまくいかない。どうしようかという時に、染め物を始めたんです」
呉服屋で扱う高価な反物は、ある程度お客さんが決まっているもの。基本的には客先に出向いて売るものなので、ふらっと店舗に訪れた人が手に取るようなものではない。だが、時節は折しも飛騨高山が観光ブームで盛り上がっていた頃。観光客が気軽に手にとれるものをと、暖簾や手ぬぐいなどを染めようとした。
「ただこれも、専門に勉強してきたわけではないし、染め物がうまく染まらなかったので型紙がきりえと同じであることに気づいてきりえをするようになりました。それで 額に入れてお店に出してみたら、ものの1時間で売れてしまったんです。あ、これは欲しいと思う方がいらっしゃるんだ、と肌で感じてきりえをするようになりました」
義基さんのきりえの評判は口コミでどんどん広がり、そこからはトントン拍子で、地元出身者の方の紹介で新聞社を通じて名古屋の民芸店から、東京は青山のギャラリーまで取り扱いが増えていく。作家として独り立ちされた時期なんですね、と言うと義基さんは恥ずかしそうにこう答えた。
