木目の美しい飛騨春慶塗
その技術を未来に伝える
HIDABITO 009
西田木工所
西田 恵一氏
この仕事をしている以上、
技術はしっかり残すべきだと思ってるんです
「長くこの地を治めていた金森家に、当時の職人が献上したのが飛騨春慶塗の始まりなんですよ。お盆や茶器などがつくられていたんですが、高山が江戸幕府の直轄地になったことで、どんどん全国に広まっていったんです。」
職人につきまとう頑固で朴訥なイメージとは異なり、やわらかなトーンで飛騨春慶の歴史を教えてくれたのが、飛騨春慶の職人である西田木工所の西田恵一さん。質の高い商品の集まるセレクトショップから、宮内庁まで様々な客先に商品を納めている。
まず案内してくれた場所には天井近くまで様々な木材が積み重なっており、思わず取材陣からどよめきにも近い感嘆の声が上がった。柔らかく差し込む光とともに、さわやかな春の高山の風が吹き抜ける、なんとも心地よい工房だ。
一般的な漆器と異なり、塗られた漆ごしにでもはっきりと分かる木目の美しさが飛騨春慶の1 番の魅力。そんな特徴は、古くから明確な分業体制の下に紡ぎ出されてきた伝統美だ。
「ここらでは昔から春慶の職人は、木地師(きじし)と塗師(ぬし)に分かれてるんですよ。私たち木地師は、木材を仕入れて加工するところまでを担当。最後は塗師さんが漆で仕上げて、問屋さんに引き取ってもらう。この三部会体制がずっと続いておるんです」
しかしこのご時世、ご多分に漏れず飛騨春慶も後継者不足。木地を作る木地師も形を残すのは約10軒ほどだそう。「今でもバリバリやっとるのは、うちも含めて3、4軒というところですかねえ」と明るく話す西田さんだが、その目はどこか遠くを見ているように感じられる。
「うちは私で3代目なんですが、それこそ私が子どもの時が最盛期でしたね。ちょうど高度経済成長期の頃で、つくったらつくっただけ売れた時期があったんです。高校を卒業してから継いだんですが、そこからは下り坂(笑)。それでも3代で潰すわけにはいかないから、色々と工夫して頑張っているんですよ」