HIDABITO.jp

400年の歴史に導かれる
豊潤な日本酒
その入り口がここにある

HIDABITO 008
平瀬酒造
平瀬 克祐さん

日本酒には、知る楽しみがあるんですよ

「お米の表面というのはビタミン、ミネラル、タンパク質が含まれていて、お酒にするときには雑味になるんです。そのため中心の良質なでんぷん質だけを使うために、削りあげるんですね。その割合を精米歩合というんですが、40%だけ残したものを使うのが純米大吟醸なんです」

まず基礎の基礎からレクチャーをしてくれたのが、平瀬酒造15代目社長の平瀬克祐さん。玄関先の入り口で、日本酒の基本的な種別と、この建物の解説が始まった。

高山市内の造り酒屋である平瀬酒造の歴史の始まりは、実ははっきりとしない。しかし、菩提寺の過去帳には1623年より記録があるため、最低でも400年弱はこの土地で日本酒を造りつづけていることになる。

荘厳な梁と吹きガラスに魅了されてしまうこの社屋が建てられたのは、今から100年ほど前の大正4年。地域火災の延焼に巻き込まれてしまったため、当時の飛騨の匠を結集して造りあげられた。

当時は電話が使われ始めた頃。名家だからこそなのだろう。土間横の小上がりにつくられた電話ボックスが、当時の形をそのままに残されている。

hidabito_nonedited_MG_4261

「この囲炉裏、当時はもちろん今でも使っているんです。朝来るとまず火を入れて、休憩時にはお茶を飲んだり温まったり。私たちにとっては、日常的な生活用品なんですよ」

土間を抜け、最初に案内してもらったのは、出来上がったお酒の保管庫として活用している土蔵。分厚い土壁で気温を安定させられるだけでなく、資産である酒を守る大切な役目も果たしていたそうだ。何でも火事があると味噌屋さんが飛んできて、扉の隙間を味噌で埋めて密閉し、火の発生を防いだらしい。思わず焼けた味噌の香ばしさを想像してしまい、早くもお酒がほしくなる。

麹室、タンクと日本酒の製造工程順に、流暢な説明とともに案内をしてくれる平瀬さん。そのフランクで日本酒愛を感じる口調は、社長というよりも日本酒好きな酒蔵ツアーコンダクターといった趣がある。

「高山の水は、ミネラルの少ない超軟水なんですね。そのため発酵速度が遅いんです。
そのため発酵に時間をかける必要があるため、キレがありながらコクもあわせ持つことができる。濃醇辛口というんですよ」

圧巻だったのは、1つあたり10klを格納することのできるタンクが30基並んでいる光景だ。1つのタンクには約3tの米を入れ、毎日仕込むと3週間でお酒が出来上がる。これらでローテーションを組むことで、米を収穫し加工しはじめた10月から3月末までの間、ずっとお酒を作り続けることができる寸法だ。この規模は高山市でも最大のものだという。

hidabito_nonedited_MG_4212